道東旅行記

雑記録

 何年か前に「アイヌ神謡集」という本を古本屋でたまたま見かけて買ったことがあります。アイヌ神話の多くは動物や谷・沼などの自然などが語り手となり彼らの視線で物語が綴られます。「〜とフクロウの神様が物語ました。」「〜と谷地の魔神が物語りました。」と言った感じです。人間批判ではなく、古事記や日本書紀のように王権の権威づけでもありません。不思議な読後感のある本でした。異なった視点を持った民族の物語と言っていいと思います。そのような意味でいうとアイヌの人々は大和の人々とは違う文化圏にあったと思えます。 

 今回、北海道に行ったのはこの本が直接の動機ではなく、どちらかというと雪への憧れがメインでした。私の写真はどちらかと言うと引算型なので銀世界がマッチすると考えたからです。ただ、その背景として私が体験したことのない異文化への憧れもありました。 

 スノーシューを持っていなかったので、シューカバーと場合によってはアイゼンをつけて膝上のラッセルなど、普段経験することのない経験をたくさん行いました。コンビニどころかお店すら全くない場所もありました。人に会うこともほとんどなくただただ雪の上を歩いているといろんなことを考えます。雪は人を哲学者にするのかも知れません。 アートをどうしても自分の仕事にしたいと考えて、人生の後半にしてようやくそのスタート地点まで辿りつきました。ところが目の前には無限のアートの世界が雪の原野のように茫々と広がるばかりです。ここを乗り切るのは自分の力だけです。歩き続けるしかありません。ただそれがつらいかと言えばそうではありません。楽しいとも違いますが、目標がある旅は面白いと言えます。 

 名前を失念してしまったのですが、東北の農村を中心に撮影した写真家がいました。彼は素敵な写真を残しましたが、心半ばで肺炎で亡くなりました。撮影に集中するあまり寒さと貧困、疲労の蓄積が肺炎の原因だそうです。多くのアーティストが彼と同じように心半ばで斃れていったことでしょう。 

 今回の旅でアイヌ文化に触れることはありませんでした。フクロウの神や谷の神に合う機会もありませんでした。しかし、チャンスさえあればすぐにでも撮影に行きたい場所になりました。写真をしていなければ、こんな出会いはなかったと思います。文学や絵画と違い写真は被写体を必要とします。内側にベクトルが向く傾向にある私にとって、外部を必要とする写真は私に適する表現方法のように感じます。 

 いい写真を撮りたいなぁ。 

こんなことを考えながら旅の片付けをしています。

青空文庫 アイヌ神謡集https://www.aozora.gr.jp/cards/001529/files/44909_29558.html

屈斜路湖畔

屈斜路湖の日の出です。この日は雲海が出ませんでしたが、美しい日の出でした。

屈斜路湖の日の出

真冬の道東は人とすれ違うことが少なく、エゾシカと出会う方が多かったかも知れません。

この写真は200mm望遠で撮影しました。雪の降る日に望遠レンズで撮影すると雪の層ができました。画面がよく彫り込まれたエッチングのような画面になりました。これは新しい発見でした。